記事をお読みの皆さんは、地元の歴史に興味はおありでしょうか。私、空谷弘は学校の授業で習ってから、特に何をするでもなく、今日まで来てしまいました。同じ地域に長く住んでいると慣れてしまい、知ろうとしなかったんですね。
空谷弘は甲賀市の水口町に住んでいます。改めて地元の歴史を知ろうと思ったときに、思い出しました。水口城跡に立つ資料館を。これは行かねばなりません。
甲賀市の「水口城資料館」に行ってきましたので、取材の様子を体験レポートします。
最近は雨の日が多かったので天気が心配でしたが、取材当日は晴れてくれました。青空に感謝です。
お堀に掛かった橋を渡れば「水口城資料館」に到着です。
最寄り駅は、近江鉄道の水口城南駅です。駅から資料館までは徒歩で5分程度です。
住所:滋賀県甲賀市水口町本丸4番80号
現在、水口城跡の本丸部分は水口高校のグラウンドになっています。赤丸で囲まれた「水口城資料館」は、本丸の出丸と呼ばれる部分に建てられた資料館です。
こちらが資料館の駐車場です。水口中央公民館の駐車場も兼ねており、60台程度まで停められます。
橋を渡ってやって来ました。正面の二階建ての建物が、「水口城資料館」です。
赤丸で囲んだところがトイレになります。建物の中にありませんのでご注意ください。
入口に張り紙がされていました。もちろん、マスクは着用して入館します。入館料は大人100円・小中学生50円でした。
※「水口城資料館」以外に「水口歴史民俗資料館」も見学される方は、大人200円・小中学生100円の共通券が便利です。
資料館の1階です。水口城築城の経緯などについて説明がされています。
時の将軍徳川家光が京都に上洛するさい、家光のための宿として築かれたのが水口城。それが水口藩の居城となったと、歴史の流れを学びます。
※館内の写真は許可をいただいてから撮影しています。ご注意ください。
テレビを発見、記録映像を見ることができます。最初に解説されるのは水口城ではなく、水口岡山城でした。
水口城の本丸部分が、復元模型として展示されています。
本丸には、将軍家宿館にふさわしい実に立派な御殿が作られたのですが、正徳3年(1713年)には矢倉や門などを残して本丸の殿舎は取り壊されました。
そして水口城も、明治維新を迎えて廃城となりました。
2階へとやって来ました。写真の中央で、左右に伸びている梁にご注目。これは水口城で、実際に使われていた乾矢倉の部材です。
来館されたおりには、ぜひご覧ください。
ここの窓から、水口岡山城跡が見えるようです。見てみましょう。
水口岡山城が築かれた古城山が見えます。
豊臣秀吉が生きていた時代に水口岡山城ができ、やがて廃城。徳川の世となり水口城ができる。そのさい、水口城の石垣に水口岡山城の石材が使われたと聞いたことがあります。
この景色に、人の世の栄枯盛衰を感じずにはいられません。
資料館を出て、お堀沿いに周囲を散策してみました。写真に写っているのは矢倉の石垣です。往時は乾御矢倉と呼ばれる矢倉が築かれていました。「水口城資料館」は、矢倉の姿を模して作られています。
今回の取材では、時代の移り変わりについて考えさせられました。地元の歴史について触れることができたようにも思います。
記事をお読みの皆様も、水口にお越しのさいは見学に来られてはいかがでしょうか。
水口城資料館
住所:滋賀県甲賀市水口町本丸4番80号
電話番号:0748-63-5577
開館時間:10:00~17:00
休館日:木曜日・金曜日・年末年始
入館料:大人100円・小中学生50円
※「水口城資料館」以外に「水口歴史民俗資料館」も見学される方は、大人200円・小中学生100円の共通券が便利です。
参考リンク:【公式】甲賀市ホームページ内、資料館などの施設の紹介ページ
記事の内容は2020年6月下旬の情報です。最新の情報は、公式サイトでご確認ください。
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