湖南市サイコー

コンテンポラリーアート 須山裕子が描き続けた昔と今、そしてこれから。

2020年12月26日
滋賀県自習室

みなさんはコンテンポラリーアートというアートをご存知でしょうか。

アートという言葉だけでも「なかなかイメージがつきにくい。」となる中、さらにコンテンポラリーアート。。。。

ただ知らないではもったいない。今回は実際にコンテンポラリーアート作品を手がけられている須山裕子さんに、そもそもアートとは?そしてアーティストになるまでにどんな経緯を送っていくものなのか?を取材しました。

そこに見えてくるアーティストになるまでの経緯、そしてコンテンポラリーアートへのイメージが今回の取材記事を通して見えてくるかもしれません。

絵との出会い〜興味から描くへ〜

  • まず、須山さんの生い立ちについて教えてください。

  • 子どもの頃から絵を描くことが好きでしたね。親からは「生まれてからすぐに絵を描いていた」と聞いています。美術館が好きで、ひとつの絵を30分かけて眺めていたと。展覧会では、優しい絵を描く人のところでいつも立ち止まっていたそうです。
  • 小学生になっても、絵への興味は薄れることなく。

  • そうですね。でも、見方は今と全く違います。小学生のときは、影の入れ方や作品の一体感。どちらかといえば技術面に注目していましたが、今は、物語や背景。作者本人の意図に興味がありますね。
  • 小学生のときは「絵が上手いことが正義」と。

  • だからどうすれば上手くなるかを考えていました。でも、理論がわかるようになるのは、もう少し後です。
  • 理論や技術は、学校に通って学ばれたんですか?

  • いえ、独学です。ずっと絵を見ていたため、作家のタッチや表現方法などを感覚的に身につけていたんだと思いますね。
  • いいですね。進路選択のときも、絵が好きだから、絵を仕事にしたいと?

  • まずOL、制服を着て働く仕事はしたくないと。でも、何かをつくる、生み出すことに興味はあって。そんなときに出会ったのが、井上陽水さん出演のキリン「聞茶」のCMです。中国の茶器をモチーフにしたパッケージが出てきて、すごく衝撃的でした。セブンイレブンで見て「めっちゃかっけぇーじゃん!」って(笑)。世界観もかっこいい。こんなパッケージをつくりたい。コンビニに置いてある何かをつくりたい。それが何かわからないまま、でも何かをやってみたい、と。
  • でも、そのとき同世代の友達は、みなさん就職活動中。

  • 内定とか決めて行っていて、正直焦りましたね。でも、やりたいことは、自分の中で徐々に見えていたので。最終的に、短大の英文科を卒業後、高校時代に自分が描いていた絵をデザイン会社に持ち込んで、6月から働くことが決まりました。パソコンを使ったこともなく、全てが新鮮でした。
  • アナログとデジタルの境目は、気にならなかったですか。

  • ちょうど切り替えの時期だったんですよね。社長は文字を切り貼りする、私たちはパソコン作業をする、という感じ。自分がかっこいいと思ったパンフレットやリーフレットをひたすらストック。人に伝えるには、どのような見え方をすれば面白いのか、情報を集めて勉強していました。
  • 綺麗でかっこいい、感覚、行間、文字と文字の幅、大きさ、バランスを。

  • そう。楽しかったですね。21歳で就職して、何社か転職しましたが、29歳までひたすら働き続けました。もう仕事が楽しくて楽しくて。あと、自由な時間が欲しくて、数ヶ月スパンで、派遣社員として働いた時期もあります。グラフィックデザインが強い派遣会社に登録。でも、毎月休みが1日とか(笑)。

  • 残り30日は仕事。でも楽しかったんですよね。

  • もちろん肉体疲労はありましたが、毎日作ることが楽しかった。クライアントの意向が変わって、一からやり直しとかも多々あったし、今までのは何だったんだー!ということもありましたよ。でもやり続けるには、心を支えなければいけないわけで。本当、デザイナーとか広告業界の人たちは働きすぎですよ。

妊娠・出産が転機に。働き方を変えた29歳。

  • 私は22歳で結婚しましたが、当時ずっと思っていたのは「家族の時間って何だろう」ということ。もうひとつは、20代から見た30歳は“ババア”。自分が29歳になったときには、25、26、27歳の子達が「うちらヤバい」って言っているのを聞くわけです。
  • その言葉を聞く、年上の自分(笑)

  • 当時は、若ければ若いほどいい、美しいという価値観が私を含め、周囲にあった気がしますね。年を取るってことへの恐怖感が一番強かった時期なんじゃないかな。それが20代。30歳になったら結構吹っ切れて、40歳になると全然気にならなくなる(笑)女性は強くなるのよ。本当に。

  • 29歳と30歳には大きな壁があるんですね。

  • そう。そして、その壁に近づいている自分が嫌でしたね。でも、28、29で妊娠して、母親になったら、自然と意識、脳が切り替わりました。体調も変化するし、満員電車に乗りたくないと思うし。仕事は楽しかったけれど、休んでいない分、やっぱりガタが来ていて。気力だけでは肉体は保てないなと。
  • その結果、フリーになる決断を。

  • 本当出産するギリギリまで、働いていました。出産後は、3ヵ月後に復帰。大変でしたけど、子どもに怒りをぶつけることはしなかったですね。自分の中だけで消化する。夜泣きで2時、3時に起こされるなら、海外ドラマをみようと、逆転の発想に切り替えて。
  • 自分の時間にすると。

  • そう。自分の時間にすると、同じ時間でもすごく豊かに過ごせるなと。でも本当、人間、慣れないことはストレスになるんですよ。これは、母親あるある。「旦那に言っても聞いてくれない」と、育児ノイローゼになるのは、典型的だと思います。でも、完璧すぎるから辛くなる。今なら、悩んでいるお母さんにいろいろアドバイスができるかも。

会社勤務からフリーランスへ

  • 29歳からフリーとして働く中で、2人目、3人目を出産されましたが、会社に所属する働き方は現実的に無理でしたか?

  • 無理というか、子どもを置いていけなかったですね。でも、3人目の子育て中に、1回、会社に戻ってこないかと言われて週3で働いたことがあるんです。まだ時短もそれほど一般的ではなかった時代。私は、10時から17時勤務。でも、大体会議は17時から始まるんです。
  • 他の人は9時始業ですよね。14時くらいから全員のエンジンがかかってきて「頑張ろう」という雰囲気の中で、17時に「お疲れさまです」と言う。周囲は「え?今から会議だけど?」と思われる。

  • だから辛かったですね。「こいつ何のために復職してんの?」っていう圧を感じました。声には出されていないですけど。やっぱり辛いし、仕事も面白くない。当時はデザインもしていましたが、絵を描くことが得意でしたから「パッケージなどでイラストが必要なときには、私に発注してください」と伝えました。そのときは全力でやりますから!というかたちで。
  • しかもフリーランスだけど、第二オフィスが会社。

  • そう。私の席もちゃんと空けておいてもらえたので。「今日は何時に上がる、だからここまでやろう」と、話すことができました。やればやるほど時間が伸びるし、“お母さん”ができなくなる罪悪感もあったので。でも、お互いにゴール地点が見えている状況をつくったら、すごく気持ちよく働けるようになりました。あとは、発注された仕事に対して、どんなに忙しくても、土日に助けてほしいと言われても、必ず優先しましたね。だから今も信頼関係が続いているんだと思います。

商業ベースからコンテンポラリー・アートの道へ

  • もともと同時進行で、自分のやりたいこともやっていました。でも、グラフィックデザインは、商業ベースであり、今の時代に寄せることが大事。そのほうが話も早いです。でも、ずっと自分の中で模索していましたね。
  • それから造形教室との出会いが。

  • テレビで見つけて、一瞬でここだなと思いました。長女が3歳のときです。問い合わせてすぐは、満員だったことと、幼稚園生はダメだと断られましたが、1年後もう一度問い合わせして、受講させてもらえるようになりました。当時の家から車で30分くらい。子どもが学んでいる間の2時間は、駒沢公園で走っていました。
  • カフェでくつろぐとかじゃないんですね。

  • 自分も何かをやっていないと嫌なんですよ。毎週2時間、お茶飲むってつまんないなと。たまたま近くに大きな体育館があったので、ジムに通うようになりました。だからお迎えのときには汗だくです(笑)。で、それから「私、デザイナーなんですけど、先生になりたいです」って言ったんですよ。採用されて、子どもと別のクラスで働き始めました。
  • お子さんの送り迎えと自分の授業と、移動が大変ですね。

  • そう。で、子どもにも「教室では『先生』。絶対にお母さんって言っちゃいけないけど、できる?」と尋ねた上で、クラスを受け持つことになりました。授業では、他の子ばかり見ていましたが、娘は、ほったらかしにしてもできる子。その点では、「先生」として、働かせてくれた子です。
  • ここで造形教室を経験したことが、コンテンポラリーアートにつながるんですね。

  • そう。最も影響を受けたのは、子どもって自由だということ。しかも、決められたものがあって、これをやりましょうっていう造形教室ではなかったんですよね。先生として見本はつくりますが「先生は大したことができないんだけど」って言いつつ、子どもたちの「俺なら、私なら先生を超えてやる」というところを引き出す役目。子どもたちが発展させていくのを見るのが楽しかったですね。
  • しかも、方法論は伝えるけれど、方向性は指示しない先生。

  • そう。教えることといえば、ボンドを使ったらこの2つがくっつくよ、ぐらい。子どもたちのひらめきを引き出す教室。あと、当時私は子育てが苦手でしたね。子育てって、自分の時間が失われる感覚があるので、この考え方がつまんないなと。
  • それなら一緒に面白いことをやろうと。

  • そうそう。私もやりたいことがある。あなたもやりたいことがある。一緒に遊べたら面白い。公園に行くのも私は嫌いでしたね。
  • 遊んでいる姿を見ているだけだから。心から楽しめることではない。

  • だから、造形はとても楽しかった。私がやりたいこともクリエイティブで、彼女たちがやっていることもクリエイティブ。先生をしながら子育てができたら最高だなと。私は私でこれを作るけど、あなたたちはこれをやってごらんって。この時間ってみんなすごくハッピー。一緒に楽しんで、共感したかったから。
  • それから、新たに逗子で造形教室の先生を。

  • しかも不思議なことに、私が「こんな教室が開きたいんです」って言ったら、もうすでにハコがあったんですよ。いないのは教える人だけ。あ、私できるよって(笑)。途中から、小学校の受験を考えるひとが増えましたけどね。
  • 受験に合格するための技術を伝える、絵の先生ですか?

  • 親はそれを望んでいたけれど、私は真逆をやっていました。
  • そうですよね(笑)

  • クレームというか「受験では使えないんですけど」と言われたことはありますね。子どもが真っ黒のキツネのお面を持って帰って来た。先生、これは何の意図が、って。私の考え方としては「真っ黒の何が悪いんだ」と。受験用は受験用の教室がありますから、あえてこの教室に来る必要はないと思うんです。
  • その子は、ただ真っ黒に塗りたかっただけ。

  • そう、その子の中で最高のかっこよさがあったんだと思います。否定すると、それから上にいけない。「真っ黒ってダメなんだ」と親の顔色をうかがう、他人をうかがう。ここから抜けられない。だから私は、面白いと思った気持ちを伸ばしてあげたかっただけ。私はそういうやり方です。
  • 須山さんの思いと、親御さんの考えと。でも運営側としては・・・

  • 間をとって「黒いお面を持って来て、次に飾りをつけて、浴衣を着てお祭りに行ったらいいんじゃないですか」って。もちろん、母親として受験に合格させたい気持ちもわかります。でも、そうすると、この子は抜け出せなくなる。人の顔色を見て動くようになって、抜けられない大人っていっぱいいるんです。
  • だからこそ、自分が関わる空間では、そうしたくなかった。

  • ダメだっていう人間は山ほどいるでしょう。だからこそ、突き抜けていけって言う人間が必要ですよ。人間って記憶の点をたどるんです。大人になったときに、過去の点を心の引き出しから出してくる。だから子どもの頃に、点をたくさん入れさせてあげたかった。大人になったときに、何かをやりたいと思ったとき、その点が、アイデアのきっかけになるんです。ひらめく瞬間は、大人の仕事のやり方にもつながっているから。
  • コンテンポラリーアートに目覚めたきっかけが、自由が丘の教室の先生。

  • 『ワークショップ』を全国展開させたパイオニア的な存在の人の造形教室。第一人者的な存在で、教育にも関わっている方です。令和2年度から図画工作の捉え方が大きく変わったんですね。作ったものの評価から、つくっている気持ちを大切にする方向に。
  • 評価制度が大きく変わりますね。

  • そう。「これをどう思うのか」「優しい気持ちを形にしてみよう」とか、少しずつ内容が変わっていて。自然と子どもたちがクリエイティブに学び始めた心と密接な学びになっている印象を受けています。急に変わるわけではなく、少しずつですけどね。
  • その先生が、清水建設のCM撮影にも携わっておられたと。

  • 子どもたちが自然の中でワークショップをする風景を撮影するために、私も手伝ったんです。場所は千葉キャンプ場。夜、寝転んで空を見上げたら、満天の星空が広がっていて。あ、絵を描かなきゃ、って。これが、自分の中で、何かがパカッて外れた瞬間。夜中12時くらいまで片付けをして、その後家に帰ってすぐに絵を描き始めました。
  • 須山さんを見ていると、表現したいことが尽きない印象です。もし、アイデアのダムがあるとすれば、ひたすら水が入るって感じですか。

  • 考えたら降ってくる感じですね。周囲は、コンテンポラリーアートだよね。抽象画だよねって言いますが、私の中ではコンテンポラリーだろうがなんだろうが正直どうだっていい。

  • 自分が表現したいものがあって、その後からカテゴライズされているだけで。名前は何でも。

  • 無理に入れられる必要もないし。牛丼でいえば、松屋でも吉野家でも。そう言うことじゃなくて、そもそも“食べ物”って感じ(笑)
  • すごいですね。じゃあ、描き方としては、ひたすら足すのか。表現したいものを書いて、完成するのか。

  • その日その日に、色をおろすという意識。描きたくなったら描くし、描きたくないときには描きません。無理に今日描かなきゃ、というのはしないけれど、描きたくなっちゃったーっと思ったら、一気に描きます。
  • 集中力はどれくらい続くものですか。

  • 大体おなかがグーって鳴ったら集中力が切れた証です。おなかが空いたから、集中力が切れた。1回リセットしてまた戻す日もあれば、そのまま終わる日もあります。

  • じゃあ、色をおろす必要がないと思ったら完成。

  • そうです。だから完成形は私にもわからない。その日その日、一日一日の必要なものをおろしているだけ。だからそれが何日、何ヵ月かかるのかわからない。3ヵ月ずーっと描き続けている絵もあります。
  • ゴールが見えていないのに、作品として見たときにまとまっている印象を受けるのが、とても不思議です。

  • 感覚を頼りに絵を描いているので、私のやり方はもしかすると、一般的なやり方ではないかもしれないです。だって怖いでしょう。ゴールが見えないのに描き続けているわけですから。
  • 須山さんが思うゴールがあるとして、私や一般の人が見ても、ゴール、感性だと思えるのは、一体なぜなのでしょう。

  • 言語化するのは難しいですね。でも自分の中で、この絵に入れる容量・タンクがあります。ちょっとずつ足して、足し過ぎたら引きます。全部消して、破壊して、再生。「これだけ時間かけたのに」とも思いますが、だからこそ消す瞬間は自分を褒め称えます。「やるねー!ここまでやったら普通なかなか消せない」って。
  • 二度と同じものは描けないし、過去最高によくできたと思う部分があれば、なおさらですね。

  • でも全部消して、再生する。そうすると精度が上がるんですよ。何がしたいのか考えているときは、気持ちがあっちに行ったりこっちに行ったりしますから。あと、絵を描くのは幸せですが、商売にする以上、売っていくことに対して見え隠れする部分がどうしてもあります。これは私がなかなか抜け切れなかった部分。でも、それを考えなくなってからは、色をおろすのが早くなりましたね。
  • 仕事がかなりスムーズに。

  • だって目を閉じたら、もう見えているから。でも、実際そのままおりないですけどね。あとは、無意識に色を考えないようにして、体にオートセンサーをつけて色を塗っていきます。この作業がめちゃくちゃ気持ち良くて、一人で身悶えしています(笑)。
  • 塗って消してつくるからこそ、意図しない部分のでこぼこができる、と。

  • その魅力を私自身がちゃんとわかっているから、破壊と再生を繰り返せるんじゃないですかね。

    絵を描くことは自分の最大の武器。生涯、絵を描き続ける。

  • 私、たぶん死ぬまでワクワクしているんじゃないかな。手が震えるようになっても小刻みに動くブレを楽しみながらきっと描いている。年代年代でしか描けないものを描いていきたいですね。全然目標もないですけど、とにかく絵を描くことだけはやめません。
  • 絵を描いている人として、自分の描いた絵を見て「いいですね」「わかる」と言われることに対しては、どんな思いがありますか?感想を述べられたとき、絵を学んできた人、そうではない人で受け止め方に違いはあるんですか?

  • 学びの有無は全く関係ないですね。それよりも、心が動いた瞬間や、どこにグッときたのか、その部分がすごく気になります。
  • 私、個人的にもすごく気になっていて。これは広告、デザインにも言えることですけど、言葉にすると「いいですね」って薄くも濃くも聞こえる。長年続けて来て技術を持つ方に対して、失礼に当たらないのかなと。

  • 私はあまりその部分を考えてないです。他人の感想をすごく気にしていた時期もあるし、今も、全く気にしないと言ったら嘘になる。やっぱりいいねって言われたほうが嬉しいですよ。でも、作品の可能性は、私が知っているし、私の中で完結しているので、周囲の意見に振り回されることはないかなと。
  • じゃあ、ちょっとゲスな話なんですけど、何か賞をとりたいとの思いは?

  • ありましたね。
  • そうなんですか。

  • だってとったほうが認知度が上がるのが早いでしょう。でも、私が賞を取る!取りたいに意識すると賞を取る絵を描く。わざわざ、自分から相手の土俵へ行く事になってしまう。そうすると、苦しい。何描いているかわからなくなる。だったら私の土俵に来い。それであーでもないこーでもないって言うんなら、じゃあ来んな!みたいな感じです(笑)
  • (笑)6年のなかでの気持ちや画法の変化を教えてください。

  • 日々、毎日ちがいますね。毎日自分が好きになっています。ダメな部分を認めるのは辛いことでもあるけれど、1回認めちゃうとこのダメさも愛おしい。あぁ可愛いことしてんじゃん、みたいな(笑)。世間一般の人たちって「賞をとってないからダメ」「○○してないからダメ」って目線で見るけど、私の中で私をそう見ていないから、ほっといてくださいって感じ。
  • 私は私の世界でやるから、と。

  • そう。やっぱりダメかなと思っていた時代もあったけれど、今はセパレートできる強さを持つことができた。絵を描くことは自分の最大の武器だし、自分に戻れる場所。自分に戻って自分を大好きでいると、人を大好きでいることができるんですね。非難・批判されても、言葉に対して傷つく権利もあるし、「あなたはあなたでいてね」って愛で返せる。
  • 最後に、今の須山さんが思うまだ容認できない自分のダメな部分を教えてください。記録として残しておきたいなと。5年後、10年後見るために。

  • 外向きの癖。内向きになる練習中ですけど、やっぱりまだ抜け切れない。外を歩いていて「やばくない?あの人」って言われたら「え?え?」ってビビる自分がまだいるんですよ。さらけ出していないわけじゃないけれど、まだチラチラうかがってる部分がありますね。それをいかに、バーンと。これ、私ですから!と言えるようになれるか。
  • 2025年には、この発言を読んで。

  • 外向きだって言うと思う。(笑)外ばっかり見ちゃってさー、ほんと可愛かったよなって言っている。で今の君に、それがベストだと言ってあげる。今が最高。コンマ0.1秒後の私もまた最高。ずっとその最高点を探していく。
  • 積み重なったとき、愛おしさに変わる。

  • ある種、羨ましい感情ですよね。初恋と同じ。もう、幼稚だったあのときにしか感じられないドキドキ感。でも、今って、まだ戻ろうと思えば戻れる。行こうか戻ろうか、遊んでいる立ち位置だと思います。感情も、本当は自分の中でコントロールできる。でも、できるけどあえてしたくない。今だから遊べるのかも。5年後には「時間の無駄!早く次!」って言っているかも(笑)
  • 5年後を楽しみに。今日はありがとうございました。

取材する前は「アートに知識がない僕が聞いても本当にいいのだろうか?」と思っていましたが、須山さんと話すことでより身近にアートを感じることができました。

作品を見るだけでなく、その背景となる作者の声を聴けた今回の貴重な機会。須山裕子さんの作品は公式SNSからも閲覧することができるので、ぜひこのインタビューと共に須山さんの作品を見ていただければと思います。

須山裕子さんの作品を見る >>

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